確かに昔よりは若くないけれど、それは5歳の子どもだって同じことだ。
今、年齢を理由にすることに慣れてしまったら、これから先の人生、ずっと、「もう年だから」と言い訳をしながら生きて行かないといけない。まだまだ、何十年も人生が残っているのに。諦めるための理由なんてどこにでも転がっているけれど、それを安易に拾い上げてばかりいては、あっという間に年を取ってしまう。
ただ生きているだけでは強くなれない。意志を持って選択することなしに、毎日を重ねることなんてできない。何となく過ぎて行く毎日なんて、何も残さずに流れて行くだけだ。取り戻せない時間を悔いている間にも時間は過ぎて行く。もっともっとと上を見るエネルギーがある間に、できるだけ生きるための時間を生きて行かないとすぐに死んでしまう。あいつの下らない言葉に下を向くより、もっと深く根をはった言葉を辿るために時間を費やさないと。





"正直であらば 怖いものはない"ってとてもいい歌詞。
"世界中が 晴れの日だって チョコがおいしい"っていう歌詞を思い出せば、どんな時もチョコ一粒で頑張れる。

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by n1watooooor1 | 2016-03-13 23:42 | 他に言う場所がなかった






こんにちは。
今さらなのですが、『ワンダフルワールドエンド』の監督、松居大悟さんの対談集を買いました。

松居大悟 恋愛対談集『さあハイヒール折れろ』
 エクスナレッジから、2015年3月に発売されました!


Twitterで感想を呟いたんですが、Twitterだと流れて行っちゃうので; ダラダラとした感想をメモしておこうと思います。






■思ってたDTと違う!……が

松居大悟恋愛対談集『さあハイヒール折れろ』。

概要を書いておきますと、松居大悟さんは、26歳という若さで『アフロ田中』で監督デビューし、それ以降、コンスタントに映画を発表し続けている新進気鋭の映画監督さんです。
私は、私の好きなシンガーソングライター、大森靖子さんが音楽を担当した映画『ワンダフルワールドエンド』で松居監督の存在を知りました。






寡聞にして知らなかったんですが、松居監督、童貞で有名だそうで。
この『さあハイヒール折れろ』は、そんな「女性に縁のない暮らしをして恋愛における欠陥が生じた」DT、松居監督が恋愛において大切なものを探しにいく本……だそうです。

まえがきにはこんなことが書いてあります。



さぁ前を歩く女性のハイヒールよ折れてくれ! 病院にいくから! さぁ! さぁ!! 極端に言えばこんなレベルで僕は恋愛と接している。
[…]
これは自分から何も行動せずに奇跡にすがる僕と、様々な恋愛猛者の女性たちと熱き激論をかわす楽しい本です。自信はないです。




DTで恋愛ベタ……と聞くと、私のような、2chのまとめサイトに入り浸っている人間は「女の子と手を繋いだこともない、目を見るだけで舌を噛みまくり、女の子に話しかけられることすらない喪男」みたいなイメージを抱いてしまうんですが、実際に対談集を読んでみると、松居監督はそういうDTではなく、女の人とデートに行ったり、女の人を部屋の中に招き入れたりしてます。

なので、恋愛猛者とは程遠い、恋愛経験など片手の指一本で足りる私の、この本の第一印象は、「全然行動してないことなくね!? めっちゃ行動してんじゃん!!」でしたw 

なので、いわゆるネット上の「DT」を想定して読み始めると、「俺の思ってたDTじゃない……」的裏切られ方はするかもしれません。
松居監督の相談のスタンスが基本、「好きな人がいるのにうまくいかない!(DT卒業できない!)」的な感じなので、「好きな人すらできません」「恋愛……え、何それおいしいの」状態だと、「お前と俺だとスタート地点が全然ちがうじゃねえかあああああ」ってなるかも。

でも、だから読まない方がいいですよということはなく。
そういう方も、この対談集を読んだら、そもそも、何で自分が「恋愛何それおいしいの」状態になってるのか、省みるいい機会になるかもしれません。
っていうか、私はなりました。


私も「恋愛何それおいしいの」状態で読んでたんですが、松居監督と一緒に、結構、対談相手の方に心を折られまくりまして(笑)。
松居監督は対談相手の方とずっと恋愛の話をしているんですが、それって、要は人とのコミュニケーションの取り方の話だったりするんです。
松居監督は、この本の中で、「あなたがうまく恋愛できないのは、相手とうまく関係性を築けていないからでは」みたいな、真っ当なことを、色々な角度から指摘されまくるのですが、それが割と心に痛いんですよ……。







特にDTだったり、処女だったり、喪女だったりすると、「自分の世界を護りたい」っていう心理がどこかにあったりなかったりすると思うんですよね。
そういう、守りに入っている方は、この『さあハイヒール折れろ』を読むと、自分の世界の頑なさを意識する機会になるんじゃないかと思います。



■松居監督のマヌケ力


『さあハイヒール折れろ』の対談相手は6人。
前から順番にジェーン・スーさん、犬山紙子さん、マキヒロチさん、大森靖子さん、ペヤンヌマキさん、リリー・フランキーさん。
漫画を描いていたり、音楽を作っていたり、AVを撮ってたり……。
いずれも、クリエイティブに自分で何かを創り出すことを生業とされている方ばかりです。






モノを創り出す方が、自分の恋愛感情をどうコントロールしてるのか、してないのか。
そのあたりの話がたくさん読めるので、普通に読み物としても面白い一冊でした。


そんな対談相手の一人、犬山紙子さんが、松居監督について、このように言っています。



今日会ってみての勝手な判断ですけど、本当にマヌケ力が高いというか、実はすごい人なのに、私がこんなふうにプッと笑えちゃうってすごいと思うんですよ。





それな。

さすが犬山紙子さんと言いますか……まさしくこの一言がこの本の全てと言っても過言ではないような気がします。
全体的に、松居監督の喋り方が煮えきらなくて(笑)。
『ワンダフルワールドエンド』のインタビューを読んでいると、「男性、女性はあまり考えてなくて。今回は、橋本さん、蒼波さん、大森さんが輝けば勝てると思ったんで」(キリッ)みたいな、監督らしい、頼れる言い回しが多いんですけど、
この対談集ではこんな、自信なさげな↓会話ばかりです。



マキ「ということは、まだ童貞なんですか?」
松居「それはちょっと……まあまあまあ(汗)」
マキ「まだ守られているんですか?」
松居「心が一つになった段階で童貞じゃないするならば、もう……」




歯切れ悪っ。みたいな。(ちなみに、この対談集を最後まで読むと、この歯切れの悪さの原因が分かります)。

この対談集では「監督」としてカッコつけなければならない部分みたいなものはあまりなく、松居大悟という人の持つ情けなさとか、カッコつかなさが前面に出てて、そこが読んでて笑えたし、親近感が持てる部分でした。
松居監督の情けなさが、どんなエピソードも発言も「ちょw」って笑えるものにしてて、どうも憎めない……例え、自分の考えとは違う発言とかが出て来ても、あんまり不快感は残らないんじゃないかと思います。
さすが立て看板博士


■もはや男女関係ないと思う

この本のまえがきに、「女性の恋愛指南本は沢山あるのに、男の恋愛指南本がない」ということが書かれていて、この対談集は多少なりとも、男性向け恋愛指南本という側面があると思うんですが。

全然、そんなことないと思う。

男女問わず、色々指南される部分は多いんじゃないかと思います。
特にモテないタイプの方は。

というのも、この本の中には、かなりの頻度で松居監督が「恋愛」に対して「かくあらねばならぬ」と自分に課している規範とか、「こうだったらいいな」っていう理想が出て来て、それが対談相手に否定されたり、茶化されたりするんです。

例えば……



松居「そうなんですよ。こっち的にはファーストインプレッションでちょっと不器用そうだから、俺がリードできるんと思っていくと、向こうのほうがレベル高かったりとかしてヒヨったり。[…]」

ジェーン「やっぱり、女が一歩引いたほうが、男女関係は上手くいくっていうことをもともとわかってる、おとなしい女の子は。」[…]「おとなしい女の子は本当にものをしらないか、喜んでおいたほうが上手くいくことをわかっているかのどちらかですね」

松居「え、その、幸せな恋愛をするためには、本当は知ってるけど知らないふりをしたほうがいいってこと?」

ジェーン「スムーズな恋愛をするためには、それも手の一つとしてはあると思いますけど。幸せな恋愛をするためには、女の人は勝手に場面場面で男の人に男らしさを求めないことも大切だと思います。男の人は男の人で、『俺がリードしたい』っていうのが本当の欲求なのか、そうじゃないと社会的に何となくカッコ悪いってことなのかの見極めを自分自身でしてもらって」




↑のジェーンさんとの対談では、「男である俺がリードしたい」っていう願望が、うまく達成されたとしても、それは実は女の子が「リードさせてあげる」っていう社会的役割をこなしているだけだったりするんだよと指摘されていたり。



松居「これをつけていたらグッとくるっていうアイテムが実は……ベレー帽をかぶっていたら相当やられますね」
[…]
大森「一番ハマっちゃヤバいタイプですよね、ベレー帽かぶってて小さくてサブカル趣味で松居さんのことが好きだったら。ぜひハマっていただきたいですね(笑)。気持ちいいですよ、ボロボロになるのは」




私、この大森さんとの対談のベレー帽女子の下りめちゃくちゃ好きなんですが(笑)、このように、「ベレー帽が似合う女の子」に夢?を見ている監督が、一度、その夢破れて、ボロボロになればいいみたいなことを言われていたり。など、まあ、色々。
全体的に、松居監督は、「あなたが恋愛においてこうありたい/恋愛相手にこうあってほしい」という願望は、実は幻みたいなものですよ。現実とは齟齬がありますよ、みたいなことをよく指摘されてます(と思う)。


別に、一つひとつの指摘が真実かどうかとか、「そうじゃないことだってあるじゃん」みたいなこととかは、とりあえず脇に置いておいてもいいと思うんです。
それよりも、

あなたが築きたいのは「彼女」との関係性なのか、好きになっているのは「一人の人間」なのか。
自分の中にある、「こうありたい恋愛像」を実現したいだけだったり、「こんな人がいたらいいなというイメージ」を好きになっているだけで、実際の目の前の人が見えてなかったりはしないか。


そういうことを指摘されることそのものが結構大事だと思うんです。

そういう自分の頭の中にある「こうありたい」(理想の)恋愛像とか、「かくあるべき」恋愛の規範とかばかり追っていて、それが現実から離れていることに気付けないと、時に、実際のコミュニケーションに歪みが生じて、モテない現象が発生してしまう。

例えば、↓の「気負い」もそうだと思うんです。



松居「女性はつき合うと恋愛が一番になりがちじゃないですか。僕はどうしても常に一番にはできなくて、それでモメることが結構多くて……」[…]
マキ「『会えないの?』って言われたくないんだったら、リスクヘッジを自分でしちゃったほうがいいんじゃないですか?」[…]
松居「どうやって?」
マキ「絵文字のスタンプだけでも一日一個は必ず送る、とか」[…]「一日に一秒くらいは思い出すでしょう? それを相手に教えてあげたらいいんじゃないですか?」[…]「そのやりとりは相手が彼女じゃなくても、友達だって嬉しいじゃないですか。なんなら彼女だと思わなければいいんじゃないですか?」
松居「何を言ってるんですか(笑)」
マキ「彼女だと思うから重たくなるんじゃないの?」
松居「ああ、それもちょっとあります、気負いというか」




上の方にも書きましたけど、恋愛という名前がついているとはいえ、基本は相手と自分のコミュニケーションなわけじゃないですか。
だから、毎日メールしたいとか、俺は毎日メールしたくないとか。
どっちが正しいじゃなくて、そこをすり合わせること自体が大事で、「うわー恋愛重い……」で終わってしまったら、関係がうまく行かなくなってしまうっていうことなんだと思います。

そうやって、相手をうまく見られずに、恋愛という妄想ばかりを育てていたら、




松居「目の前の相手ではなく、一人で見たAVを思い出して見たり。そうなると見るAVも、本番のシーンより、その前のトーク部分を楽しむようになっちゃって」
ペヤンヌ「素晴らしいユーザーですね(笑)」




的な、「恋愛」の重圧に現実がついていかない……みたいなことが起きるのではないかと。

まあ、こんな感じで。
この本を読んでいると、「恋愛」と名前がつくことで、人間関係に「理想」とか「妄想」が入り込みまくって、関係の本質が見えなくなってしまうという現象
が、松居監督というテストケース(!)を通して、実によく見えて来る感じがします。


でも、「恋愛」という名前がつくことで、一対一のコミュニケーションの様子がおかしくなるのって、、男性に限った話じゃないと思うんですよ。
例えば、女性だって「尽くすワタシ」を演じることが往々にしてあったりするわけじゃないですか。
「尽くされる男性」として相応の人であって欲しいみたいな願望を相手に押し付けたりとか。
男性は年収が高いのがいいとか。背が高い方がいいとか。
女性は料理がうまくないといけないとか、女子力高くないといけないとか。
まあ、色々、理想とか規範とかがあるじゃないですか。
「社会的な(男女の)役割」「こうあってほしい自分」「現実の自分」「こうあってほしい相手」「現実の相手」が、こんがらがってるのは、男女どっちも一緒なんじゃないかと(恋愛経験が片手の指一本で足りる私が言っても……って感じなんですが)。




この対談の中では、松居監督の「こんがらがり」が少しずつ紐解かれて行く感じがするので、この対談を読みながら、自分自身の「こんがらがり」についても考えるきっかけになるんじゃないかという気がします。


(ちなみに、上↑で引用した五名の方の対談は、マイナビでの連載でも読めるのですが、最後の一人、リリー・フランキーさんとの対談はマイナビの連載では読めない書下ろしです。
読みたい方はぜひ書店へ)



■恋愛っていうかコミュニケーションの問題


などなど。
何か、色々書いてきましたが……。

私の数少ない、片手の指一本で足りる恋愛経験を思い返しますと、私、個人的には結構、松居監督に共感できる部分が多かったんです。
相手のことを名前で呼べなくて、自分のタイミングで呼び方を変えないと負けだみたいな感覚とか。
常に恋愛が一番にはできないけど、どうやらそれが恋愛のスタンダードな規範らしいから合わせた方がいいらしいんだけど、合わせるのは無理ですみたいな感じ?とか。

でも、それって、要は、自分のペースを崩したくない、相手に合わせられないっていうことですよね……。
上記の通り、私は、恋愛猛者からは程遠い、喪女的人間ですが……。
松居監督と同世代でこの体たらくなので、私の外見などは色々察してくださいという感じなんですが。
それにしても、やっぱり、「相手を思いやる < 自分を守る」っていう、不等号記号が自分の中で確立してしまっているところが、恋愛に興味ない(と自分では思っている)根本的な原因なのかなあと思いました。

たぶん、自分を変えたくないんですよね……。






私、別のブログでJ-popのレビューみたいなの書いてるんですけど、最近、頭打ち感を感じていて、その頭打ち感は、他のレビュー以外に、実生活で文章を書くときにも感じていることなんですが……。

薄々、何か、こう、人間がもっと豊かにならないと、映画とか、音楽とか聞いても、深みのある感想が出て来ないのではないかと……、そんなことを思い始めてたんですよね。

なんか、そんなことを思った矢先に、この対談を読んだので……。
あー、もっと人のことを考えられるようにならないとダメだなあと。
もっとちゃんと人の気持ち考えて、コミュニケーションとらないとダメだなあと。
自分を頑なにしてばかりだと、どんどん世界が狭くなるだけだよなあと。
そのようなことを改めて思い知って、自分の人生を振り返りながら、ため息しか出て来なかったです。


……というように、この『さあハイヒール折れろ』を読んで、結構、私の心も折れました。


この記事をここまで読んでいる方がいれば、ぜひ、あなたの心も折ってもらえばいいと思いますよ!!!!!! 



私も松居監督と同じくドラえもん好きで(主に劇場版ですが……)、この対談にもその話題が出て来たので、
この記事を書き終わったら久々に「ドラえもん のび太と夢幻三剣士」でも見ようかなーと思ってたのですが、
この「昔好きだったドラえもん」にこだわりを持つ之尾、れも、何か、昔の自分の思い出を過剰に大切にして、誰にもそこに立ち入らせたくないという自分を守りたい欲の現れなのかもしれません。
思い出にこだわりすぎてはいけないのかもしれない……。
……などと思うと、映画の観方もよく分からなくなってきます。
やっぱり、人の話をちゃんと聞いて、人のことを思わないと、ちゃんと音楽も読めないし、映画も観られないし、本もちゃんと読めないと思う。
その作品の声をちゃんと受け止められる人間になるためにも、もう少し人間を深めて行こうと思います……。


という愚痴ブログでした……(長くてすみません。読んで下さった方、ありがとうございました)


最後に。

この対談にもちらっと出て来る『私たちのハァハァ』と言う映画がもうすぐ公開されますよ!

http://haa-haa.jp/

9月公開なので、『さあハイヒール折れろ』を読みながら7-8月を過ごし、公開に備えるのもいいかもしれません(笑)。

今、前売り券を買うと缶バッチがもらえますよ!
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先行上映もありますよ!!



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by n1watooooor1 | 2015-07-12 22:07 | 他に言う場所がなかった

あなたなしでは……

3月中ごろから、この一カ月くらい、ちょっとインターネット環境が整っていなくて、ブログからもTwitterからも離れていました。
インターネットから離れたら、インターネットに費やしていた時間が手元に戻って来て、一日がすごく長く感じました。
ネットがないだけで、いつもより丁寧に本を読んだり、部屋の整理をしたり、街をぶらぶらしたり……日常生活のリアルな手触りを感じながら生活することができて、この生活、すごく良い、と思いました。
Twitterに矢継ぎ早に流れてくる情報を追うのも楽しいけど、そういう時間の流れだけを軸にして生きて行きたくはないな、と改めて感じました。

3月の頭までは、現場の予定が詰まっていたのですが、3/3のBerryz工房ラストライブを境にライブの予定がぐんと減ってしまいました。
ちょうど同じころにインターネットから離れることになったので、パソコンに触れる時間も短くなり、私はパソコンで音楽を聞くので、音楽を再生する回数も減ってしまいました。
その間、一カ月くらい。ずっと、音楽を聞くのが何となく怖いような気になっていました。
もしかしたら、Berryz工房の無期限活動停止とBuono!もおそらく?しばらくは活動停止的な期間に入ると思われることに、結構、ダメージを受けていたのかもしれません。
J-popを聞くと、私はどうしても何かの理屈をつけたくなってしまうのですが、そういう聞き方がいいのかどうかよく分からなくて、Berryz工房のももを見られなくなったことによってできた空白の時間分、音楽を聞くっていったいなんなんだろう、みたいなことをうだうだと考えるようになってしまいました。音楽を聞いてるのに、身体ではなくて、理屈ばっかり働かせてどうするんだ、みたいな。言葉で考えてばっかりでどうするんだ、むしろ、音楽ってそこから解き放ってくれるものじゃないのか、みたいな。
ライブに行ったり、新しい曲を聞いたりすると、そのことで頭がいっぱいになって、そういうことを考え込む時間みたいなものはばーっと吹き飛ばされるんですが、でも今度の夏にきっとBuono!のライブはないし、Berryz工房の秋ツアーはないし……。
そういうことを考えているうちに、なんとなく、ふさぎ込んで、WMPの再生ボタンを押しづらくなっていました。

でも、つんくさんの声帯摘出のニュースを聞いて、『あなたなしでは生きてゆけない』を聞きたくなりました。
あなた=音楽として聞いてみてくださいっていうつんくさんの言葉を思い出したからです。

"音楽なしでは生きてゆけない"

改めて『あなたなしでは生きてゆけない』を聞いて、私もこの歌みたいな生き方ができたらいいな、と思いました。
何があっても、どんな不安や迷いがあっても、挫けそうになることがあっても、
"But I can't live without you, BABY!"
と言えるような何かとともに生きてゆきたい。
そういう決心を、強気な心で歌えるような人生だったらいいな、と思いました。

すぐに「これでいいのかな」と迷ってしまうのは、きっと、私が理屈に頼りっきりで、理屈で受け取れないものの処理の仕方が分からないからだと思います。先回りして、弱気になって、諦めてしまうというか。
年齢が進むたびに弱気になることを自分に許しそうになるし、守りに入ることを良しとしてしまいそうになるんですが、でも、やっぱり、どう受け身をとるかを考える前に、強気で色んなものを掴みに行きたいなって思います。

ハロヲタは最終的につんくヲタになる説っていうのがあって、私もそんな感じで、座り込みたくなった時には、つんくさんの作る音楽にいつも背中を蹴飛ばしてもらってるんですが、つんくさんの生き方を見ていると、もう、頑張らざるを得ないというか。
弱気に甘えてる暇はないなと思います。

正直、今、お金がないので、しばらく、ライブの予定は入れられなさそうなんですが、また、夏くらいからはライブの予定をガンガン入れて、自分を強引に外に引っ張り出して行きたいです。

***

この一カ月くらいで、やっぱり、リアルな手触りのあるこの世界で、もっと手応えを感じられるような生き方をしたいなーと思うようになりました。
これからもしばらくはネット環境厳しそうなんですが、復帰しても、インターネットに時間軸を奪われすぎないようにしていきたいと思います。
と、同時に、やっぱり、私はインターネット大好きですし、何より、このブログやツイッターで頂く言葉に励まされたり、TLに流れて来る言葉にはっとさせられたりすることもたくさんあるので、適度な距離感を舵取りしながらやっていきたいですね。

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by n1watooooor1 | 2015-04-18 21:50 | 他に言う場所がなかった

今日もうまく行かないことがあって、銀行に行くために自転車を漕いでたら、目の前の陸橋じゃなくて、その隣にある長い下り階段に突っ込みたくなった。「一歩が踏み出せない中央線」for meだった。私ももう若くはないので、こういう終末感的な衝動は何年ぶりだろう。もちろん、階段には突っ込まずに陸橋の坂をのぼった。重いペダルをぐいぐい踏みながら、3月になったらももに会える、歌って踊るももが見られる、Buono!だって聞ける、と、忘れちゃいけない明日のことを思い出した。バレンタインデーは武道館の一般発売。3月4日はピントカのアルバム。瞬間的な絶望を明日に、来週に、来月に、引き延ばしてくれるものがあるから、頑張れる。詰むまであと一手どころか百手くらいある。

私は私がそんなに繊細じゃないことを知ってる。どんな時にでもお腹がすく、丈夫な身体のおかげである。
だけど、何年も生きていれば、10代のあの頃のように、下りの階段に突っ込みたくなる瞬間が訪れることだってたまにはあるのかもしれない。

最近、これまでの何かが噴き出すようにイライラしていて、もしかしたら、私はこの数年間、何かを溜め込んでいたのかもしれない。月経周期みたいなタイミングの問題なのかもしれない。
あー、もう嫌だと思うことが多くて、ここ数年はそういうことを思わないようにして来ていたんだけど、最近はブレーキが利かなくなっている。ってことはやっぱり少し疲れているのかもしれない。
あ、今、ブレーキ利いてない。って気づいた時には、「私は2015年の最初に大森靖子&THE ピンクトカレフの "hayatochiri"を聞いたんだ」ということを思い出す。今年の最初にピントカの"hayatochiri"を聞いたことが、今年の私を支えている。

ほんの数年前、YouTubeとWMPが音楽の全てだった頃には、その場に居合わせたということ、その空間、その瞬間そのものにこんなに支えられる時がくるなんて思わなかった。
今でも一番リアルに思い出せるのは、2012年、Buono!のライブ "R・E・A・L"で「初恋サイダー」が始まった瞬間のスモークの影。「I NEED YOU」で「かもん!」と叫ぶももの声。あの時の感覚が私にとっての「ライブ」の全てだ。あのライブから、私にとっての「現場」が始まって、2015年の始めの大森靖子&THE ピンクトカレフのライブに至った。
Buono!は私を「現場」に連れて行ってくれたから、ずっと大好き。ニコニコ動画で「こころのたまご」を踊るももを見た日に、私はBuono!が好きになった。今の私は、ももがいるからここにいる。

どの現場もどのライブにも、「あ、」と思う瞬間があった。
初めてのベリ現場でまあさのダンスを見た瞬間に緊張がほどけたこと、武道館に現れたももの、静止した手首の角度、中野サンプラザの一階席から見える衣装の質感、愛の弾丸の「あ」を歌うりさこの声。大森さんのライブで、私の隣で泣いていた女の子、アカペラの「さようなら」の「ら」で掠れた声、リップグロスを塗ってもらった瞬間の背中が震える感じ、「歌舞伎町に響いたギターの音、気がついたら客席に立ってた大森さん、大森バンドが奏でるKITTY'S BLUESの冷たさと柔らかさ。
書ききれない……。
宇多田ヒカルのあの曲のあのフレーズだけに支えられていたあの頃より、たくさん、色んな瞬間を手に入れられて、うれしい。

そういう瞬間を思い出す時の心の温かさを、下らない感情に奪われるのはいやだから、あいつもあいつも大嫌いだし、もう誰のことも思い出したりしないんだからな。




私の今年の目標は頭がよくなることです。もうこれしかない。と思う。もう勉強とかいう年じゃないし、頭の回転は遅い方ですが、それでも、鬼のようにインプットしまくりたい。
感性とか文章とか経験値とか。面白さとか楽しさとか正しさとか鋭さとか。そういうものは武器にできなさそうだから、せめて思考力を武器にできるように、今からコツコツためていきたい。雑誌のカバー一枚で動揺するような隙だらけでチキンな私をすべて看破してやれるくらいに頭がよくなりたいです。

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by n1watooooor1 | 2015-02-14 00:24 | 他に言う場所がなかった

ただの愚痴です

昨年の秋、Twitterのログイン画面に、間違ってリアルで使っているメールアドレスを打ち込みかけた時に、Twitterにアクセスする回数を少なくしようと決めました。エゴサもしないと決めました。読みたいツイートは、一週間分まとめて読むことにしています。

インターネットの海は心地よくて、リアルの世界で息苦しくなるたびに、逃げ込んでしまうけど、Twitter、YouTube、はてな、Yahoo……同じ画面の更新ボタンばかり押していると、インターネットの画面の中に自分が固定されてしまいそうになって、また、息苦しくなります。
リアルから隔絶された場所としてのインターネット空間は大好きです。本当に好き。でも、何らかの形で、リアルに結びつかないインターネット空間にずっと漂っていられるほど、もう若くもないと思うと、我に返ることを忘れられません。

でも、我に返ったら我に返ったで、最近、リアルの世界では心の中で毒づきたくなることが多くて、一つのできごと、一つの感情のまわりをぐるぐるとまわってばかりです。恨みつらみが募って、でも、結局、そういうことばかり考えていても、心が腐るばかりで、そんな感情に脳のメモリを奪われても脳が腐るだけだし。慌てて好きな曲をWMPで再生して、そういう面倒くさくて黒々としたものをガーンと吹っ飛ばしてからお風呂に入り、布団に入ります。毎日、心地いい時間を奪われて溜まるかと、何か、本当に片手で収まる小さい世界で下らない押し合いへし合いをしてばかりで本当に嫌になる。

何か、最近、たまに心が黒々するんですけど、どこにも吐き出す場所がないのでここに吐き出しました。ただの愚痴です。すみません。こういう気分になるたびに、東京に『ワンダフルワールドエンド』を見に行きたいなあ。『ワンダフルワールドエンド』は見れば見るほど訳の分からない。なのに、無駄に理屈をつけようとしたり、黒い気持ちに足をとられたりする、私の凝り固まった頭が一瞬でもすっきりときれいになる感じがする映画です。ずっと公開してたらいいのに。
暇だから黒くなるわけで、こんなもん大した黒じゃないし、さっさと自分の仕事がしたいです。

ああ、巻き込み事故みたいな形で死ぬのは嫌だなあ。

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by n1watooooor1 | 2015-02-09 02:22 | 他に言う場所がなかった

はてなブログに、森T展の感想と、ワンダフルワールドエンドの勝手にレコメンドを書きました。

一人で行った森T展(大森靖子ファンによる自作Tシャツ展示会)

そうだ、『ワンダフルワールドエンド』を見に行こう(勝手にレコメンド)

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***


THE ピンクトカレフが解散するという大森さんのブログを読みました。
大森靖子&THE ピンクトカレフのファーストにしてラストアルバムが発売されるのは、2015/3/4。Berryz工房のファイナルコンサートの次の日です。
2015年の春の先にも続いているもんだと思い込んでたものを、見送る3月になりそうです。

Berryz工房の無期限活動停止のニュースを聞いた時、言葉にならなくて、今でも、活動停止が発表されるときの動画を見られていないという体たらくなんですが(3/3までには見ます)。
去年の夏にBerryz工房の活動停止のニュースを聞いた時にも、昨日、ピントカの解散のニュースを聞いた時にも、同じことを思いました。
やめなければ続くかもしれないものに、自分で終わりを宣言することができるってすごいなあ、と。
あることを「続けることで見えるかもしれない景色」と「止めることで見えるかもしれない景色」があって、その岐路に立った時。私はいつも、「あの時やめなければよかった」っていう後悔予測に負けてしまって、惰性で続けてしまいます。自分で「終わり」や「区切り」をつける勇気が出せないんですよね……続けるより、やめるほうがエネルギーがいるし。そもそも、その岐路を見つけることさえ、できていないかもしれない。

でも、無期限活動停止を発表した後のベリメンの姿や、大森さんのブログを読んで、私も、自分で、「終わり」を言える潔さが欲しい、見送るより見送られるようになりたいなあ。と思いました。

**

例え、いつか、何らかの形で活動に終わりが告げられるのだとしても、映画館や本屋やライブハウスで、世の中にあるたくさんの才能や努力が形になった瞬間を目撃すると、とても、安心します。
それは、ああ、こういう人がいれば(世の中が)大丈夫だ、っていう安心感みたいなものです。
最近では、映画『ワンダフルワールドエンド』を見た時に、そう思いました。大森さんの音楽についても、同じことを思います。

世の中について漠然と……いや、はっきりと抱いている不安が、「いや、まだ大丈夫。こういう人がいるから」と、拭われる感じ。
でも、そういうことを思うと、その次に、「何を他人事のように……」と、自分が情けなくなって来るんですよね。客観的な振りして、したり顔で、「いやー、こういう人がいればまだ大丈夫っしょー」と世界を区分けしてるのも嫌だし、人任せにしてる感じが更に嫌です。
インターネットで、画面の向こうの玉石混合の情報の中で、光っている才能を見ると、ひたすらクリックばかりする自分のあまりの平凡さに押しつぶされそうになります。
でも、そうやって、自分の平凡さに押しつぶされることが、むやみに人を叩いたり、単純で平坦な言葉しかつかえなくなったり、そういうことにつながるんだろうなあとも思うので、何とか、私も、とりあえず、「終わり」を告げることができるくらいの何かを初めて、続けることから始めないとなあと思います。

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by n1watooooor1 | 2015-02-08 01:56 | 他に言う場所がなかった
ハロプロ、宇多田さん、大森靖子さんなど、楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いています。→http://niwanotori.hatenablog.com/へ記事を移行し、このブログは愚痴や日記用に。ご連絡はこちら→ 管理人:にわの、Twitter:ok_take5、tori.niwa.noあっとgmail.com