※リリウムの感想というより、ただの独り言ですが、リリウムのネタバレあります※



最近、大森靖子さんの曲と、Berryz工房の『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』と、『LILIUM リリウム 少女純潔歌劇』についてよく考えるんだけど、この三つ、私の中では、何らかの形で「少女性」を問題にしているという点で共通している。

というか、大森靖子さんの『絶対少女』があまりにも鋭く「少女性」を問題化していたので、何か、めっちゃ影響を受けて、色んなものを、「少女性」のフィルターを通してじゃないと考えられなくなった。
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』は、Berryz工房による「少女性」の語り直しに聞こえるし、『リリウム』は「少女性」を断罪しているように見える。
「少女性」の病にかかっている気すらする……。


■LILIUMの少女性

『リリウム』は力作だった。良い作品だった。ライブじゃ見られない類のメンバーのエネルギーや底力を、見せてくれてありがとうって言いたい。

ただ、この作品の、少女から根こそぎ希望を奪いさるその非情さは、少し恐ろしかった。

その非情さを正面から受け止めきれなかったからか、私は、このミュージカルは、「アイドル」の世界の模倣なんだと解釈している。
(→こんな感じ:「アイドルのミュージカル」と「ミュージカル」の交差点2/『LILIUM リリウム 少女純潔歌劇』の感想)
「少女純潔」とは、まさしく、このミュージカルを演じるハロメンたちが、いつもアイドルとして求められていることだ。
「ファルス」は、ヴァンプたちに「永遠の純潔」を望んだ。
ハロオタたる私も、おそらく、心のどこかで、アイドルに「永遠の純潔」を夢見ている。
だから、『リリウム』が描き出した「少女純潔」の結末は、私がアイドルに望む「純潔」が、アイドルを奈落の底に叩き落とす様を描いているようにも見えた。
『リリウム』には、「純潔であり続けることの絶望」が描き出されている気がした。

私はハロオタだけど、時々、私は、私の大好きなアイドルがいつも私を裏切らないで、純潔なイメージを保ってくれていることが、アイドル自身を傷つけてはいないかと、時々、ふっと恐ろしくなる。アイドルは天使だったり女神だったりするけど、本物の天使ではないし、本物の女神でもない。生身の女の子に、「純潔」を求め続けると、いつか絶対にどこかに歪みが生じるはずだ。
『リリウム』の結末には、その「恐ろしさ」を暴かれた気分だった。
このミュージカルには、「少女の胸に純潔を刻まれる」ことの痛みがあふれ出しているように見えた。
だから、これから、アイドルを応援するとき、私の夢や欲望が「ファルス」にならないように、細心の注意を払わなければならないと思った。



■大森さんの少女性

一方で、「胸に純潔を刻む」ことは、アイドルに限らず、「女の子」が多かれ少なかれ体験することでもあるのだと思う。

大森靖子さんは『絶対少女』というアルバムで、そんな「女の子」たちの痛みを歌っている。と思う。
例えば、『絶対彼女』という曲には、以下のような歌詞がある。

  まずずっと愛してるなんて嘘じゃない
  若いこのとこにいくのをみてたよ
  ミッキーマウスは笑っているけど
  これは夢


この曲に出てくる女の子は、自分に向けられる「ずっと愛してる」という言葉も、ミッキーマウスの笑顔も、ひと時の夢なのだと、知っている。
「ずっと愛してる」という言葉はいつか若い子に向けられ、ディズニーランドの外に出ればミッキーマウスは赤の他人。
この曲には、それがいつか冷める夢だと知りながら、その夢の中を生きなければいけない「女の子」の痛みがある。(と私は解釈している→容易い肯定ではなかった……/大森靖子「絶対彼女」の感想





「少女純潔」というのは、「女の子」に対して抱かれた夢の一つだ。
「女の子には、純真で、純潔で、無垢な「少女」である瞬間がある。それは、あくまで、「瞬間」であり、その無垢さはいつか失われる。だからこそ、その瞬間は美しい。」という夢。
その夢は美しい。それこそ、「少女純潔歌劇」という一つの名作を生み出すほどに。

女の子が「処女」であることにはとても価値がある。
それは、「純潔」で「いつか失われる」からこそ、価値がある。
少女が処女性を失い、少女でなくなった時、女の子の価値は落ちる。
アイドルほどではないけれど、須らく女の子というものは、多かれ少なかれ、心のどこかで、そんな「価値が落ちる」瞬間を恐れているに違いない。





ただし美少女に限る。




■ただし美少女に限る

今まで私が書いてきた「女の子」だとか「少女性」だとか。
これら全て、「女の子」が「美少女」でなければ、説得力は半減する。

女の子に「純潔」を求めることの暴力性がどうだとか、そのようなことを語るとき、それを言っているのが、ブスだったりデブだったり年増のおばさんだったりすると、言っていることの説得力は地に落ちる。
(だから、私が書いた上記の文章もたぶん、説得力は皆無だ……)。

この世の中には、おそらく、いや、確実に、「いや、お前に純潔は求めてねーよwwwwww」「お前が処女でも意味ねーよwwwwww」と言われうる女が存在する。

たぶん、大森靖子さんが歌っているような痛みは、多くの女の子が体験しているし、
アイドルともなると、すごい輝きすぎていて、もう遥か彼方の存在なんだけど、それでも、たぶん、アイドルが体験する「歪な欲望」って、きっと、もっと身近な形で、多かれ少なかれ、女として生まれた人たちが、体感せずにはいられないものだったりするものなはずだ。

たぶん。

しかし、

仮に。

本当にそうだとしても。

それは「かわいい子が言わないと説得力がない」のだ。

『少女純潔歌劇』だって、美少女が演じなければ、ただのコントになりかねない……。



■Berryz工房の少女性

ここで、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』の話がしたい。
リリウムの話からの強引なるBerryz工房という無理やり展開。
しかし、最初に書いた通り、私の中では、大森靖子も『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』もリリウムも、ある種の「少女性」を問題にしているという点で共通している。

Berryz工房の『アイドル10年やってらんないでしょ!?』という曲は、アイドルに求められるものを「少女性」から「楽しさ」にすり替えたんだという記事を書いたことがあるんだけども、
Berryz工房というアイドルの現在は、かわいかろうが、かわいくなかろうが、「女の子」に生まれちまった「女」にとって、ある種、新しい希望を与えてくれていると思う(こんなことを言うと、また石を投げられる予感がする)。
すなわち、Berryz工房という美少女集団は、自分たちの価値を「美少女」以外のところに作り出して行く。
アイドルという「純潔」な存在たる彼女たちが、「純潔な」少女性以上の価値を、生み出していく。
それって、すごいことだと思う。
Berryz工房は、「アイドル」とか、「少女」とか、「女」とか、そういう概念そのものに切り込んでいくようなことをやってくれているんじゃないかって、私は割と本気でそう思っている。







リリウムは「少女」の世界を美しく描き出してるし、大森靖子は「少女」の世界の痛みを歌っている気がするし、Berryz工房は「少女」という世界そのものを変化させてくれている気がする。

私が大森靖子さんを知ったのは、ハロプロを通してなんですが、

全部、ハロプロ繋がりの世界だけで、こんなに「少女」の世界を色んな角度からみれるって、なんか、やっぱり、ハロプロすごいなあって、思っている。
強引なまとめ方ですが、そんなただの日記でした。

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by n1watooooor1 | 2014-06-12 01:04 | 『LILIUM リリウム』

2/3はこちら


■「おふざけ」そして「楽しさ」――「10年やってらんないアイドル」から、「10年やってけるアイドル」へ

『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』のセンターで踊っている、水色のスカートに白いブラウス姿の菅谷梨沙子の髪型と髪の色を見て欲しい。
アイドルという枠組の中で好き勝手にやる彼女の髪型を。
確かに彼女たちはアイドルで、その枠組組から大きく外れることはない。せいぜい、派手な髪の色に染め、派手なネイルをし、派手なメイクをするくらいのものだ。
しかし、彼女たちは、この10年をかけて、アイドルとして許容される(許容させる)ものを少しずつ広げてきたのだ。
昔は許されなかった金髪を、濃いメイクを、突飛な髪形を。

Berryz工房は、ハロプロ内において「個性派」と称されるグループであり、彼女たち自身も「個性派」を自認している。
このMVを見てもらえば分かるように、Berryz工房は身長、体型、髪形すべてが凸凹であり、一番身長の低い嗣永桃子と一番背の高い熊井友理奈の身長差は30cm近く(以上?)になる。
昨今のアイドル市場を見渡せば、Berryz工房以上に異質で、個性的なアイドルグループが沢山デビューしている。
アイドル×メタル、アイドル×パンク……その意外な組み合わせで、差別化が図られ、彼女たちはアイドル業界に旋風を巻き起こそうとしている。

しかし、Berryz工房について特筆すべきは、Berryz工房はハロプロ的正統派アイドルとしてデビューしたのに、何かいつの間にか個性派になってた……ということだろう。
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』を踊るBerryz工房のバックには、かつての黒髪清楚美少女集団だった頃のベリメンの写真が張り巡らされている。
金髪も茶髪もももち結びもいない、かつてのBerryz工房。
メンバー全員小学生のグループとしてデビューしたBerryz工房は、結成当初はロリ御用達グループという側面すらあった。




なんてかわいいロリ天国だ……。

しかし、ロリはいつまでもロリではいられないし、美少女はいつまでも美少女ではいられない。
今や立派な「個性派」と化した彼女たちが未だ「アイドル」であり、未だにそれについて行くオタがいるのは、彼女たちが「Berryz工房というアイドルに求められているもの」を自ら変質させてきたからに他ならない。

では、今、Berryz工房に求められているものとは何か。

やはり、一つ目は「歌」だろう。『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』には「今日も歌う 大好きな歌」「それでもやっぱ歌えば官軍 これでよかったと感極まって 涙しちゃう」という歌詞が出てくるが、この歌詞を歌わせるあたり、つんくPもBerryz工房は「歌のグループ」だと認識しているのだと思う。
菅谷梨沙子、夏焼雅をはじめとした、Berryz工房7名の声には総じて厚みがあり、歌の安定感はハロプロ随一だ。どんなに個性派と呼ばれようと、彼女たちはライブに来た客に、CDを買うオタに、きちんと歌を聞かせ、「君たちは……アイドル……なのか???」という疑問符を「とにかくこの歌を聞いてけ」とねじ伏せる。

しかし、歌がうまいアイドルは、別にBerryz工房だけではない。歌を聞くだけなら、別に「アイドル」の歌を聞かずともよい。

歌以上にBerryz工房をBerryz工房たらしめているのは、彼女たちが生み出す「楽しさ」であり、見ているものを楽しませる「おふざけ」感にあるだろう。

部分的に歌詞を見れば、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』には、感動的で、ドラマチックなことが歌われている。
「青春全部ささげた事は 誇りに思って生きて行くわ」
「土日も全部ささげてきたよ」
「泣きたくなって真夜中ずっと涙したこともあるんだけど」
など。
涙なくしては語れない、Berryz工房の青春の日々。

しかし。
Berryz工房は素直に感動をさせてくれない。
「やってらんないでしょ!?」「やっちまったんだよ」という口調と言い、「石の上でさえ3年だよ」や「別腹だよ」という言い回しといい、つんく流の聞き手を脱力させるような言葉の選択、コミカルな曲調とダンス、全てが、見ている側の失笑すら誘う(途中に差し込まれている馬の鳴き声とかなんだよアレ)。

しかし。
そうした、「コミカルにしてしまう」力技こそ、まさしく、Berryz工房最大の武器なのだ。
例えば、「好きな事だって 仕事となりゃ別腹だよ」という表現。
「別腹」とは、普通はお腹いっぱいなのにアイス食べちゃう、みたいな状況のことを指すので、「仕事でも好きな事なら別腹だよ」とするのが自然な日本語だ。「仕事で疲れてて多少キャパシティーオーバーでも、好きな事ならこなせちゃうよ」と。
だが、ここで、Berryz工房は、敢えて「別腹」の意味を反転させ、「アイスは別腹だよね」というように、「仕事は別腹だよね」と歌う。
「ただ、仕事となると辛い」と歌うのではない、Berryz工房の力強さがこの曲にはある。

この曲を歌い、踊る彼女たちの姿はかっこいい。
ダンスショットもクローズアップも、所作から表情まで、10年選手たる彼女たちのパフォーマンスは完璧だ。バックで踊っている時ですら、彼女たちの表情は余裕でアイドルしている。
彼女たちはこのMVの中で、まじめにアイドルとしての仕事をこなしている。
そして、真剣に、かっこよく「石の上でさえ三年だよ」とかいう自虐ネタをかっこよく歌い上げてくれてしまうものだから、やたらと面白いし、見ていて楽しい。
彼女たちは実に真剣にふざけている。

この曲が表しているのは、きっと、Berryz工房は、この10年をかけてBerryz工房に求められるものを、「ロリ」や「美少女」から、「歌うことの楽しさ」にすり替えていったということなのだ。

「普通、アイドル10年やってらんない」
それは、あからさまに「若さ」「清純さ」「フレッシュさ」が評価される女性アイドルにとって残酷な現実だ。同時に、「いろんな意味で体力もいる」「誘惑だって半端ない」という芸能界の厳しさに10年晒され続けることも、友達はママになったのに、自分は未だママにダメ出しされているという、同世代の子との生活のズレも、彼女たちが向き合わなければならない切実な問題であると思う。

モーニング娘。はそういった、女性アイドルが抱える問題を、卒業制度による歴史の継承というシステムによって乗り越えてきた。モーニング娘。のメンバーは、いつか来る卒業の日に向けて、それぞれの「アイドル性」を高め、完成させ、それによって、モーニング娘。の歴史に名を刻んで行く。
しかし、加入・卒業という入れ替え制度なしで10年間やってきたBerryz工房はモーニング娘。とは事情が違う。Berryz工房にとっては、メンバー=Berryz工房の歴史なのであり、そこからの「卒業」が用意されていない以上、Berryz工房にもメンバーにも、目指すべき完成点はない。Berryz工房が続く限り、彼女たちはBerryz工房を支え、進化し続けなければならない。
そんなBerryz工房が選んだのは、女性アイドルが抱える「時代の流れ」や「加齢」といった切実な問題を、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という一つ作品に昇華させて、楽しくかっこよく歌い上げることだった。
Berryz工房の最大の魅力は「真剣に」ふざけることができるだけのアイドルスキルと、それによって生み出される「楽しさ」だ。
この「楽しさ」こそが、Berryz工房というアイドルが「それでも」アイドルを続けて行くことを支え、10年目のさらに先へと続いて行くBerryz工房の新しい未来を予感させるのである。
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by n1watooooor1 | 2014-05-31 22:37 | ハロプロ

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■「アイドルとしての私」と「私」

この曲において、Berryz工房はBerryz工房という物語の主役であると同時に、語り手でもある。
だから、この曲では、「猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル」というような、アイドルを客体化する、語り手としての眼差しと、「体力も必要」「誘惑だって半端ない」というアイドルという「私」の実体験が常に交差する。

それがもっとも顕著なのは本曲のサビだろう。

 アイドル10年やってらんないでしょ!?
 石の上でさえ3年だよ
 青春全部ささげたことは 誇りに思って生きて行くわ
 アイドル10年やっちまったんだよ
 バイト感覚じゃ続かないから
 土日も全部ささげてきたよ
 好きなことだって仕事となりゃ 別腹だよ
 それでもアイドル I love it!


「アイドル10年やってらんないでしょ!?」
この部分において、Berryz工房の10年は、他の本来あるべきアイドルの姿に相対化され、Berryz工房は我に返ったかのように客観的に、それは「(普通は)やってらんないものなんだ」という診断を下している。
「アイドル10年やっちまったんだよ」も同様で、そこには「(本来10年やるべきでない)アイドルを10年やってしまった」自分たちに向かって、「やっちまったな、お前ら」と言い放つような、客観的な判断が含まれている。
しかし、同時に、このサビでは、「青春全部ささげたことは 誇りに思って生きて行くわ」「それでもアイドル I love it!」というように、「普通じゃない」ことを抱え、誇りに思って生きて行くのだという、Berryz工房という物語の主役としての、「私」の決意が語られる。

アイドルとはまさしく、このような「自分を客体化する眼差し」と、「アイドルという人生を歩む「私」としての眼差し」との交差地点に生きている存在だ。

『普通、アイドル10年アイドルやってらんないでしょ!?』の二番には以下のような歌詞がある。

  モデルしたい 女優したい あれこれしたくもなるけれど
  雑念は禁物よ 勘違いしたらそこまでよ
  〔…〕
  ママになった友達だっているのが現実
  ママのダメだしはきついけど 言ってる意味は確かにわかるよ

「モデルしたい」「女優したい」という「私」の欲求と、それを「勘違い」と見なさざるを得ない「アイドル」というイメージの狭間で、アイドルは生きている。
アイドルは、「アイドル」という枠組みの中で、「私」と「アイドルとしての私」の間に境界線を引き、折り合いをつけながら、「アイドル」というイメージを体現し続ける。
そうした「アイドル」という枠組みから抜け出すまで、アイドルは、友達はママになったのに自分は未だ「ママにダメ出しされ」ているという、現実とのギャップに晒され続ける。
アイドルは、「アイドルという私」の現実と、同世代の女の子たちは恋愛し、ママになっているという「私」の現実のギャップの中で生きて行かなければならないのだ。
これまでのモーニング娘。を卒業したメンバーたちがそうであったように、アイドルではない「私」としての人生は、アイドルから卒業して初めて始まるのである。


しかし、本曲が面白いのは、1でも書いたように、「私」が「アイドルとしての私」を「語る」(歌う)という視点を取っているところだ。
「アイドルとしての私」は常に「私」によって客体化され、語られ、歌われる。
歌やアイドルが好きな「私」と、それを生業とする「アイドルとしての私」は重なり合いながらも、決して完全に重なり合うことはないのだ。「私」はアイドルを客体化することで、「私」と「アイドルとしての私」の間に境界線を引いて行く。

おそらく、自分で「私」と「アイドルという私」の間に「境界線」を引き、その「境界線」を保つ、というのは、アイドルにとってとても重要なことだ。
アイドルは「私」と「アイドルとしての私」の狭間で生きているからこそ、時に「アイドルとしての私」に「私」が巻き込まれ、食い潰されることがある。
だが、Berryz工房は、この曲のように、「好きな事だって別腹である」ことを認め、「アイドルとしての私」を客観的にみる視点を「私」の中に保った上で、「それでも私はアイドルなんだ」と言うことができる。
だからこそ、Berryz工房は「アイドルという私」に潰されることなく、10年ものアイドル人生を送って来られたのだ。

「アイドル」はみんなのものだ。
男のスキャンダルなんてとんでもない。「アイドル」は応援してくれるみなさんのものだ。
しかし、「アイドルとしての私」がみんなのものだとしても、「アイドル」は「私」の全てではないし、「私」はみんなのものではない。
Berryz工房は、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という歌を通して、彼女たちが歩んできたアイドルとしての10年を、もう一度自分たちの手元に手繰り寄せ、「私」の物語として紡ぎ直しているのである。

この曲でなされているのは、「アイドルという私」を「私」の人生の中に位置づけ直す、そんな試みであり、それは同時に、その試みを「アイドルという私」を見つめ続けて来た、ベリオタや世間の前に開示する、そんな企てでもあるだろう。

3/3へ
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by n1watooooor1 | 2014-05-31 22:33 | ハロプロ

http://www.alivem.net/berryz-kobo/1867/
「アライブモーニング」さんに、この記事をまとめたレビューを掲載していただきました。ありがとうございました




■二つの10年~道重さゆみとBerryz工房


2014年春。
道重さゆみが今秋をもってモーニング娘。’14を卒業することが発表された。
たとえ世間に嫌われようと、「モーニング娘。を知ってもらいたい……」と強烈な毒舌キャラでお茶の間に爪跡を残し、モーニング娘。の名前を世間に忘れさせなかった道重さゆみ。アイドル10年選手の彼女は、同期や後輩が次々と卒業していく中、最後までモーニング娘。に留まり、10歳近く年の離れている後輩たちを引っ張って、モーニング娘。復活の兆しを手繰り寄せた。
青春の11年をすべてモーニング娘。とモーニング娘。の復活に捧げてきた、アイドル:道重さゆみは今、神格化の一途をたどっている。

参考:「朝日新聞記者が「キリストを超えた(?)道重さゆみ」」

そんな道重さゆみ賛美が進む中、ハロプロの誇るもう一つの10年選手たち、Berryz工房が6/4に両A面シングルを発表する。
Berryz工房は、ただいま、デビュー10周年year真っ最中。昨年、初の武道館公演を成功させた彼女たちは、今年も9/11にも武道館コンサートが決まっており、Berryz工房の10周年は盛り上がりを見せるばかりだ。
そんなBerryz工房の35枚目のシングル。
そのタイトルは、『愛はいつも君の中に/普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』
今回着目したいのは、後者である。





「モーニング娘。を知ってもらいたい」そう言って涙を呑んでは、11年間、アイドル人生を貫いてきた道重さゆみ。
その悲壮なまでの「使命感」に我々ハロオタもまた涙をするわけだが、それに対するBerryz工房はどうだ。

『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』

こんなに身も蓋もないタイトルがあるだろうか。

そう、現実的に考えれば、確かに「アイドル10年やってらんない」のだ。
水物だし、女の子なんて特に「若さ」が最大に評価される世界だし。
何より、アイドルには「少女性」が求められるから、アイドルたちはいつまでも大人になれない。だからこそ、「アイドル」という世界に、10年も留まっているのはそもそもちょっとおかしい。
だからこそ、われわれハロオタは、「普通、アイドルは10年やるもんじゃないけど、さゆの10年にはドラマがあって……」と、アイドル10年の物語を再構成し、世間に対してある種の理由づけ、あるいは、言い訳をするわけである。
「確かに10年以上アイドルなんてちょっと変だけど、別におかしくなんてないんだよ。ちゃんと理由があって、物語があって、しかも、それはすごく感動的なものなんだよ。そんなさゆの姿こそがアイドルなんだよ」、と。

だから、こんなに堂々とシングル曲のタイトルで「私たち、普通じゃなくなってしまったようです」と宣言されてしまうと、「自分で言うんかい!」と盛大に突っ込まざるを得ない。

しかし、この「自分で言ってしまうふてぶてしさ」こそ、Berryz工房というグループにふさわしい。
筆者の考えでは、この「普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?」という曲は、Berryz工房というグループが、道重さゆみ、あるいはモーニング娘。というハロプロの看板グループとは異なる「アイドル」物語を描いてきたのだということを、端的に表した曲である。
すなわち、道重さゆみが、11年という歳月をかけて道重さゆみという「アイドル」を完遂し、秋の卒業をもって「アイドル」という物語を完成させるのだとすれば、10年という歳月をかけて、「アイドル」という世界、物語そのものを変質させたのが、Berryz工房なのである、と。

では、Berryz工房はどのように「アイドル」を変質させたのか。
以下、つんく♂PによってBerryz工房に託された、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という物語がどのように語られているのか、見て行こう。


■「アイドル」を歌い直すBerryz工房

まず、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』の歌い出しを引用するところから始めよう。

  猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル
  世界でもまれに見る 特殊な職業Jアイドル


アイドル、それは「肩書」であり、数ある「職業」の中の一つに過ぎない……
この曲がしょっぱなからハロオタに突き付けてくるのは、アイドルという物語が隠して来た、圧倒的な現実だ。
アイドルはこの世に舞い降りた天使ではないのだ、と。
彼女たちはアイドルとして生まれ、生まれた時からアイドルとしてこの世に存在しているわけではない、アイドルをアイドルたらしめているのは、その存在ではなく、「アイドル」という「肩書」「職業」なのだ、と。
この曲は、ドルオタがアイドルに抱いている夢をぶち破るところから始まる。

続く歌詞はこうだ。

  それでもたいてい続かないの 色んな意味で体力も必要(い)る
  誘惑だって半端無いのもわかるでしょ Do you know?


う、うん、知ってた。そうだろうなって思ってた。
……と言いたくなるようなこの歌詞。
You Tubeで検索をかけてみれば、この歌詞を証明するかのように、Berryz工房がいかに体力を削り、青春を削り、10年アイドルを続けてきたのか、Berryz工房の歴史を描いた動画がたくさん見つかる。






そう。
「「色んな意味で体力も必要」で「誘惑だって半端ない」アイドルを、Berryz工房はメンバー構成が殆ど変ることなく、10年続けて来た。」
それは、普通、アイドルがその華々しいステージの裏に秘めた物語として、オタが動画で主張するような物語なのだ。

そのようなアイドルの苦労や歴史が語られるのは、普通は「歌」の中ではない。
アイドルの「歌」は「アイドル」なるイメージを体現し、表現するためのものなのであり、アイドルの裏側、アイドルの現実はその世界観の中には入り込んで来ないのが一般的だ。
その裏側が語られるのはインタビュー、メイキング、ラジオなど、(主に)ドルオタしかチェックしないであろう媒体においてなのであり、だからこそ、ドルオタはそうしたアイドルたちの苦労を拾い上げ、みんなが知らないBerryz工房を知ってもらうべく、自ら編集した「Berryz工房物語」をYou Tubeやブログや2chにアップするわけである。

しかし、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』は、そんな秘められた物語を「曲」として発表してしまったうえ、「わかるでしょ」「Do you know?」という問いかけまでしてくる。
この曲は、
「オタ以外からは「猫だって杓子だって」できるような、「簡単そうに見えちゃう」アイドル」と、
「それを「そうじゃないんだ! みんなこんなに頑張ってるんだ!」と庇うドルオタ」
……という殊勝な構図をあっさり打ち崩すのだ。

この曲は、ある種、「アイドル10年やっちまった」Berryz工房の「開き直り」songである。
この曲で歌われている、「アイドル」というキラキラしたイメージの裏にある現実--「猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル」という現状、それが自分たちの「仕事」なのだという現実、その「仕事」には「体力も必要」「誘惑だって半端ない」という辛さ--は、「アイドル」と名の付く人たちはみな、多かれ少なかれ、体感しているに違いない。
しかし、そうした現実は、普通はひっそりと隠され、オタの前でポロリとこぼされるような「裏話」として存在しているはずのものなのであり、表に出されるものではない。
だからこそ、「それでも笑顔で頑張るアイドル」という物語が、数多くのオタを惹きつけ、声援を呼ぶのだ。

だが、Berryz工房は、それらの現実を堂々と歌い上げ、社会に向かって発信してみせる。
その姿は実にふてぶてしい。
しかし、それこそが、「アイドル」10年目のBerryz工房の強さなのだ。

普通、アイドルとは「語られる」存在だ。
アイドルというイメージを提供し、オタたちに、それぞれの「アイドル物語」を描かせる。それがアイドルだ。だから、アイドルはその物語から逸脱しないように努めなければならない。
しかし、この曲は、今まで、Berryz工房が世間から、オタから、注がれてきた視線、語られた物語を、敢えてそのまま歌にのせる。

すなわち、この曲は、今までBerryz工房に、あるいは「アイドル」に与えられた物語を「歌い直す」あるいは「歌い返す」、という構造を持っているのだと言える。

「(そんなに可愛くなくても)アイドルって名乗ればとりあえずアイドルなんでしょ」
「アイドルなんて若いだけでチヤホヤされてるだけじゃない」
「女優したいとかモデルしたいとか言うけど、勘違いしたらそこまでよね」
「普通、アイドル10年やってらんないでしょ」
など。
この曲で、Berryz工房が歌い上げるのは、自らに貼られてきたレッテルに他ならない。

しかし、そうした「レッテル」を歌いあげるメンバーたちの自信にあふれた表情はどうだ。
「ねえ、本当に分かってんの?」と言わんばかりに、カメラを見つめ、「Do you know?」と問いかけるメンバーたちは、自分たち「アイドル」に注がれる視線を真正面から弾き返す。

語られるアイドルから語るアイドルへ。
この曲は、Berryz工房が自分たちをめぐる視線や物語を取り込みながら、自らのアイドル人生を振り返り、自ら再構成しなおしていく、そんな曲であると言えるだろう。
そして、そんなBerryz工房の物語を支えているのは、「10年やってきた」という揺るぎない自信に他ならない。

2/3へ
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by n1watooooor1 | 2014-05-31 22:32 | ハロプロ

ところで、このMV、プロモーションver.ということですが、ベリメン全員かわいく撮れててイイですよね! 

私、このMVで推したいのはさきちゃんです! 

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全体的にさきちゃんのキレがヤバい! さきちゃんのキレキレな動きとさきちゃんのキリっとした表情は、かっこふざけている本曲の「かっこよさ」の部分をきちんと見せてくれていると思います。



そして、もう一人のベリのお姉さん、われらがももち。

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かわいいよおおおおおおおお。


……じゃなくて、いや、かわいいんですが、ももが時折見せてくれる大人びた笑顔も、この曲に「かっこよさ」とか「大人っぽさ」を与えてくれる、いい仕事をしていると思います。

なので、この曲では、私個人的には、さきちゃんともものお姉さんズが特に好きです。



MVの最初から、気になるところをピックアップしつつ見ていってみる。
このMVは、ベリの10年を振り返る写真に始まり、写真が張り巡らされたスタジオで踊るベリメンたちが現れます。

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※ももの頭上に華麗にキックを決める熊井ちゃんの図。



そして、「猫だって杓子だって名刺を作れば即アイドル」という衝撃的な歌い出しが始まる。


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雅ちゃんがかわいいのはもはや当たり前。

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熊井ちゃんが美形なのももはやデフォ。

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とーくしゅな職業~と鋭く切り込んでくるさきちゃん。

からのー


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ちなみのJポーズ。
このちなみめちゃくちゃかわいい。
さきちゃんのキレ味から、ちなみの脱力感への流れが好き。

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サビのセンターはもちろん梨沙子。
ある意味、ベリの10年を一番象徴しているのは梨沙子なのかもしれない。この梨沙子の貫禄と存在感……。この髪形はいったいどうなっているんだろうか。

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ここのまあさめちゃくちゃかっこいい。雅ちゃんとか、梨沙子とか、甘い(というのか?)表情を見せるベリメンたちの中で、まあさの真剣で男前な表情はいい味出してますよね。

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お姉さんズ2ショット。
満面笑顔なももちとキメ顔のさきちゃん。
二人の(曲の中での)キャラ付けの違いが出てて面白い。
実際は左のももちが仕事人間(!?)と呼ばれ、さきちゃんが「おぱょ」なところも面白い。

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元祖(?)ベリーズセンター三人衆。
ここのももの笑顔かわいい。
表情の作り方が三者三様で面白いです。


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サムネにもなってるけど、ここのさきちゃんかわいい。
何ていうか、今、この瞬間にしか見られないような、奇跡的なかわいさがあると思う

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ここのみやもも好きだ―。
二人とも気が強そう(!)だけど、性格は正反対そうな、同じクラスでも同じグループにはならなさそうな二人が並んで歌っているベリが大好きです。


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さきちゃんの横顔かっこいい。

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みやびちゃんと熊井ちゃんの間に切り込んでくるさきちゃん。

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間奏のさきちゃん。

以上、さきちゃん三連発。
さきちゃんはいつもキレキレだとは思うんだけど、この曲は特に、映るたびにキレが半端なくて、存在感が際立っている気がする。


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間奏の最初の方の振り付け。
跳び方に個性が出てて面白い。


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大サビの、職人アイドルももちから、天然アイドル熊井ちゃんへの流れが好き。


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ももちのパンチを笑顔で受け流す大人な熊井ちゃん。



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最後にみんなが縦に並んで跳びだして(?)くるところ。
ちなみの「にぱっ」って感じがかわいい。

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そして、最後にこのポーズである。
あらぶるみやびちゃん。



全体的に、さきちゃんのキレ味、もものプロアイドルなカメラ目線と笑顔、ちなみの明るい笑顔、まあさの男前さ、みやびちゃんの女子女子したかわいさ、熊井ちゃんの美形っぷり、梨沙子の貫禄と、それぞれ、それぞれにしかない可愛さや良さが出ていて、このMVすごく好きです。

発売日が楽しみだ。


感想文その1



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by n1watooooor1 | 2014-05-18 23:07 | ハロプロ


ちゃゆ……いや、モーニング娘。’14の道重さんの卒業の発表があってもうすぐ1ヵ月。
青春の11年をすべて娘。と娘。の復活に捧げてきたさゆの神格化が進む中、発表されたベリの新曲。

『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』




同じ「10年のアイドル人生」でも、さゆとベリでは作り上げられた物語のイメージがすげえ違うwwwww 
っていうか、これは、さゆとベリっていうか、(今の)モーニング娘。とベリの違いと言った方がいいのかもしれない。

ちなみに、こちらが、モーニング娘。「17年」の歴史を標榜したムービー。





そもそも卒業制度のある娘。と、メンバーが固定されてきたベリではグループの作られ方が違うので、売り出し方も違って当たり前なんですが、娘。の悲壮なまでの「使命感」と『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』ベリのズッコケ感の落差がすごいw 

『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』も、よく歌詞を見れば、娘。やさゆの物語のように、感動的で、ドラマチックなことが歌われると思うんです。
「青春全部ささげた事は 誇りに思って生きて行くわ」とか「土日も全部ささげてきたよ」とか「泣きたくなって真夜中ずっと涙したこともあるんだけど」とか。
でも、そこは一筋縄ではいかないBerryz工房。

 アイドル10年やってらんないでしょ!?
 石の上でさえ3年だよ
 青春全部ささげたことは 誇りに思って行くわ
 アイドル10年やっちまったんだよ
 バイト感覚じゃ続かないから
 土日も全部ささげてきたよ
 好きなことだって仕事となりゃ 別腹だよ
 それでもアイドル I love it!


「やってらんないでしょ!?」「やっちまったんだよ」という口調と言い、「石の上でさえ3年だよ」「別腹だよ」という言い回しといい、こやつら、聞き手をストレートに感動させる気はないと見える。

『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』というタイトルからしてそうなのですが、この曲は、最初から最後まで自分のアイドル人生を「普通のアイドル」や「普通の人生」と相対化しては、ふと我に返り、「やっちまったな!」と自分で自分に突っ込みを入れ続けている。
Twitterでフォロワーさんとも話していたんですが、どこかに、アイドルなるものを突き放してみるような、どこか冷静な眼差しがある。
でも、その眼差しを「楽しさ」や「おふざけ」に変えてしまうのがベリのベリたるところで、この曲は、「やっちまった」と歌うことそのものを楽しもうとしているような気がします。


「普通、アイドル10年やってらんない」って、アイドルという「職業」にとっては残酷な現実だと思うんですよね。
特に女性のアイドルは、「若さ」「清純さ」「フレッシュさ」があからさまに評価されます。
「若さ」も「清純さ」も「フレッシュさ」も時の流れに逆らえるものではないですから、「10年やっちまった」って、結構、死活問題ではあると思うんです。
それだけでなく、「いろんな意味で体力もいる」「誘惑だって半端ない」という芸能界の厳しさに10年晒され続けてきたことも、友達はママになったのに、自分は未だママにダメ出しされているという、同世代の子との生活のズレも、彼女たちが向き合わなければならない切実な問題だと思います。

娘。はそういった、女性アイドルが抱える問題を、卒業制度による歴史の継承というシステムによって乗り越えてきたわけですが、ベリの場合、そういう問題を『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という一つ作品に昇華させて、楽しくかっこよく歌い上げてしまう。

この曲を聞いて、ベリはアイドルにとっての「10年」という重みを「楽しさ」に変えることで乗り越えて行くんだろうなーと思いました。
ベリの最大の魅力はやっぱり「楽しさ」だし、この「楽しさ」がベリが「それでも」アイドルを続けて行くことを支えているんだろうと思います。

この曲、かっこいいのか、ふざけてるのかよく分からないところがいいですよねw というのも、Twitterでフォロワーさんとした話なのですが、人から見ても楽しく感じられるように「ふざける」って、実はすごく難しいと思うんです。
絶対にはずしてはいけない部分ってあるし、ただ、内輪でわちゃわちゃふざけてるだけだと見ていて楽しくない。
この曲がただのネタソングではなくて、「楽しい」と感じられるのは、やはり、10年選手であるベリメンたちのパフォーマンスのレベルが高いからで、「石の上でも3年だよ」という歌詞も、かっこよく歌いこなせちゃうのがベリの魅力なんだと思います。

私、特に好きなのが

「今日も歌う 大好きな歌」
「それでもほら もうすぐ幕が開く」
「歌えば官軍 これで良かったと涙しちゃう」

の歌詞で、この部分にはすごく説得力を感じました。

というのも、この前、私、ベリの単独コンサートに初参戦したんですが、そこで、ベリは「歌」のグループなんだなと思ったんです。
ベリメンの声って、みんなそれぞれすごく力強くて、全員が揃えば、どんなおふざけソングもかわいい歌も、かっこいい曲も、ものにしてしまう。
ベリの歌声も、個性も、楽しさも、ベリメンが青春をささげて来た結果、生まれたものなんですよね。

そんな歌声をライブやCDの中で響かせることで、「良かった」とベリメンが「良かった」と涙しちゃうのなら、私はこれからもずっとベリを応援していきたいな、と思います。


感想文その2





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by n1watooooor1 | 2014-05-18 23:03 | ハロプロ
ハロプロ、宇多田さん、大森靖子さんなど、楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いています。→http://niwanotori.hatenablog.com/へ記事を移行し、このブログは愚痴や日記用に。ご連絡はこちら→ 管理人:にわの、Twitter:ok_take5、tori.niwa.noあっとgmail.com