あなたなしでは……

3月中ごろから、この一カ月くらい、ちょっとインターネット環境が整っていなくて、ブログからもTwitterからも離れていました。
インターネットから離れたら、インターネットに費やしていた時間が手元に戻って来て、一日がすごく長く感じました。
ネットがないだけで、いつもより丁寧に本を読んだり、部屋の整理をしたり、街をぶらぶらしたり……日常生活のリアルな手触りを感じながら生活することができて、この生活、すごく良い、と思いました。
Twitterに矢継ぎ早に流れてくる情報を追うのも楽しいけど、そういう時間の流れだけを軸にして生きて行きたくはないな、と改めて感じました。

3月の頭までは、現場の予定が詰まっていたのですが、3/3のBerryz工房ラストライブを境にライブの予定がぐんと減ってしまいました。
ちょうど同じころにインターネットから離れることになったので、パソコンに触れる時間も短くなり、私はパソコンで音楽を聞くので、音楽を再生する回数も減ってしまいました。
その間、一カ月くらい。ずっと、音楽を聞くのが何となく怖いような気になっていました。
もしかしたら、Berryz工房の無期限活動停止とBuono!もおそらく?しばらくは活動停止的な期間に入ると思われることに、結構、ダメージを受けていたのかもしれません。
J-popを聞くと、私はどうしても何かの理屈をつけたくなってしまうのですが、そういう聞き方がいいのかどうかよく分からなくて、Berryz工房のももを見られなくなったことによってできた空白の時間分、音楽を聞くっていったいなんなんだろう、みたいなことをうだうだと考えるようになってしまいました。音楽を聞いてるのに、身体ではなくて、理屈ばっかり働かせてどうするんだ、みたいな。言葉で考えてばっかりでどうするんだ、むしろ、音楽ってそこから解き放ってくれるものじゃないのか、みたいな。
ライブに行ったり、新しい曲を聞いたりすると、そのことで頭がいっぱいになって、そういうことを考え込む時間みたいなものはばーっと吹き飛ばされるんですが、でも今度の夏にきっとBuono!のライブはないし、Berryz工房の秋ツアーはないし……。
そういうことを考えているうちに、なんとなく、ふさぎ込んで、WMPの再生ボタンを押しづらくなっていました。

でも、つんくさんの声帯摘出のニュースを聞いて、『あなたなしでは生きてゆけない』を聞きたくなりました。
あなた=音楽として聞いてみてくださいっていうつんくさんの言葉を思い出したからです。

"音楽なしでは生きてゆけない"

改めて『あなたなしでは生きてゆけない』を聞いて、私もこの歌みたいな生き方ができたらいいな、と思いました。
何があっても、どんな不安や迷いがあっても、挫けそうになることがあっても、
"But I can't live without you, BABY!"
と言えるような何かとともに生きてゆきたい。
そういう決心を、強気な心で歌えるような人生だったらいいな、と思いました。

すぐに「これでいいのかな」と迷ってしまうのは、きっと、私が理屈に頼りっきりで、理屈で受け取れないものの処理の仕方が分からないからだと思います。先回りして、弱気になって、諦めてしまうというか。
年齢が進むたびに弱気になることを自分に許しそうになるし、守りに入ることを良しとしてしまいそうになるんですが、でも、やっぱり、どう受け身をとるかを考える前に、強気で色んなものを掴みに行きたいなって思います。

ハロヲタは最終的につんくヲタになる説っていうのがあって、私もそんな感じで、座り込みたくなった時には、つんくさんの作る音楽にいつも背中を蹴飛ばしてもらってるんですが、つんくさんの生き方を見ていると、もう、頑張らざるを得ないというか。
弱気に甘えてる暇はないなと思います。

正直、今、お金がないので、しばらく、ライブの予定は入れられなさそうなんですが、また、夏くらいからはライブの予定をガンガン入れて、自分を強引に外に引っ張り出して行きたいです。

***

この一カ月くらいで、やっぱり、リアルな手触りのあるこの世界で、もっと手応えを感じられるような生き方をしたいなーと思うようになりました。
これからもしばらくはネット環境厳しそうなんですが、復帰しても、インターネットに時間軸を奪われすぎないようにしていきたいと思います。
と、同時に、やっぱり、私はインターネット大好きですし、何より、このブログやツイッターで頂く言葉に励まされたり、TLに流れて来る言葉にはっとさせられたりすることもたくさんあるので、適度な距離感を舵取りしながらやっていきたいですね。

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# by n1watooooor1 | 2015-04-18 21:50 | 他に言う場所がなかった

今日もうまく行かないことがあって、銀行に行くために自転車を漕いでたら、目の前の陸橋じゃなくて、その隣にある長い下り階段に突っ込みたくなった。「一歩が踏み出せない中央線」for meだった。私ももう若くはないので、こういう終末感的な衝動は何年ぶりだろう。もちろん、階段には突っ込まずに陸橋の坂をのぼった。重いペダルをぐいぐい踏みながら、3月になったらももに会える、歌って踊るももが見られる、Buono!だって聞ける、と、忘れちゃいけない明日のことを思い出した。バレンタインデーは武道館の一般発売。3月4日はピントカのアルバム。瞬間的な絶望を明日に、来週に、来月に、引き延ばしてくれるものがあるから、頑張れる。詰むまであと一手どころか百手くらいある。

私は私がそんなに繊細じゃないことを知ってる。どんな時にでもお腹がすく、丈夫な身体のおかげである。
だけど、何年も生きていれば、10代のあの頃のように、下りの階段に突っ込みたくなる瞬間が訪れることだってたまにはあるのかもしれない。

最近、これまでの何かが噴き出すようにイライラしていて、もしかしたら、私はこの数年間、何かを溜め込んでいたのかもしれない。月経周期みたいなタイミングの問題なのかもしれない。
あー、もう嫌だと思うことが多くて、ここ数年はそういうことを思わないようにして来ていたんだけど、最近はブレーキが利かなくなっている。ってことはやっぱり少し疲れているのかもしれない。
あ、今、ブレーキ利いてない。って気づいた時には、「私は2015年の最初に大森靖子&THE ピンクトカレフの "hayatochiri"を聞いたんだ」ということを思い出す。今年の最初にピントカの"hayatochiri"を聞いたことが、今年の私を支えている。

ほんの数年前、YouTubeとWMPが音楽の全てだった頃には、その場に居合わせたということ、その空間、その瞬間そのものにこんなに支えられる時がくるなんて思わなかった。
今でも一番リアルに思い出せるのは、2012年、Buono!のライブ "R・E・A・L"で「初恋サイダー」が始まった瞬間のスモークの影。「I NEED YOU」で「かもん!」と叫ぶももの声。あの時の感覚が私にとっての「ライブ」の全てだ。あのライブから、私にとっての「現場」が始まって、2015年の始めの大森靖子&THE ピンクトカレフのライブに至った。
Buono!は私を「現場」に連れて行ってくれたから、ずっと大好き。ニコニコ動画で「こころのたまご」を踊るももを見た日に、私はBuono!が好きになった。今の私は、ももがいるからここにいる。

どの現場もどのライブにも、「あ、」と思う瞬間があった。
初めてのベリ現場でまあさのダンスを見た瞬間に緊張がほどけたこと、武道館に現れたももの、静止した手首の角度、中野サンプラザの一階席から見える衣装の質感、愛の弾丸の「あ」を歌うりさこの声。大森さんのライブで、私の隣で泣いていた女の子、アカペラの「さようなら」の「ら」で掠れた声、リップグロスを塗ってもらった瞬間の背中が震える感じ、「歌舞伎町に響いたギターの音、気がついたら客席に立ってた大森さん、大森バンドが奏でるKITTY'S BLUESの冷たさと柔らかさ。
書ききれない……。
宇多田ヒカルのあの曲のあのフレーズだけに支えられていたあの頃より、たくさん、色んな瞬間を手に入れられて、うれしい。

そういう瞬間を思い出す時の心の温かさを、下らない感情に奪われるのはいやだから、あいつもあいつも大嫌いだし、もう誰のことも思い出したりしないんだからな。




私の今年の目標は頭がよくなることです。もうこれしかない。と思う。もう勉強とかいう年じゃないし、頭の回転は遅い方ですが、それでも、鬼のようにインプットしまくりたい。
感性とか文章とか経験値とか。面白さとか楽しさとか正しさとか鋭さとか。そういうものは武器にできなさそうだから、せめて思考力を武器にできるように、今からコツコツためていきたい。雑誌のカバー一枚で動揺するような隙だらけでチキンな私をすべて看破してやれるくらいに頭がよくなりたいです。

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# by n1watooooor1 | 2015-02-14 00:24 | 他に言う場所がなかった

はてなブログに、森T展の感想と、ワンダフルワールドエンドの勝手にレコメンドを書きました。

一人で行った森T展(大森靖子ファンによる自作Tシャツ展示会)

そうだ、『ワンダフルワールドエンド』を見に行こう(勝手にレコメンド)

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***


THE ピンクトカレフが解散するという大森さんのブログを読みました。
大森靖子&THE ピンクトカレフのファーストにしてラストアルバムが発売されるのは、2015/3/4。Berryz工房のファイナルコンサートの次の日です。
2015年の春の先にも続いているもんだと思い込んでたものを、見送る3月になりそうです。

Berryz工房の無期限活動停止のニュースを聞いた時、言葉にならなくて、今でも、活動停止が発表されるときの動画を見られていないという体たらくなんですが(3/3までには見ます)。
去年の夏にBerryz工房の活動停止のニュースを聞いた時にも、昨日、ピントカの解散のニュースを聞いた時にも、同じことを思いました。
やめなければ続くかもしれないものに、自分で終わりを宣言することができるってすごいなあ、と。
あることを「続けることで見えるかもしれない景色」と「止めることで見えるかもしれない景色」があって、その岐路に立った時。私はいつも、「あの時やめなければよかった」っていう後悔予測に負けてしまって、惰性で続けてしまいます。自分で「終わり」や「区切り」をつける勇気が出せないんですよね……続けるより、やめるほうがエネルギーがいるし。そもそも、その岐路を見つけることさえ、できていないかもしれない。

でも、無期限活動停止を発表した後のベリメンの姿や、大森さんのブログを読んで、私も、自分で、「終わり」を言える潔さが欲しい、見送るより見送られるようになりたいなあ。と思いました。

**

例え、いつか、何らかの形で活動に終わりが告げられるのだとしても、映画館や本屋やライブハウスで、世の中にあるたくさんの才能や努力が形になった瞬間を目撃すると、とても、安心します。
それは、ああ、こういう人がいれば(世の中が)大丈夫だ、っていう安心感みたいなものです。
最近では、映画『ワンダフルワールドエンド』を見た時に、そう思いました。大森さんの音楽についても、同じことを思います。

世の中について漠然と……いや、はっきりと抱いている不安が、「いや、まだ大丈夫。こういう人がいるから」と、拭われる感じ。
でも、そういうことを思うと、その次に、「何を他人事のように……」と、自分が情けなくなって来るんですよね。客観的な振りして、したり顔で、「いやー、こういう人がいればまだ大丈夫っしょー」と世界を区分けしてるのも嫌だし、人任せにしてる感じが更に嫌です。
インターネットで、画面の向こうの玉石混合の情報の中で、光っている才能を見ると、ひたすらクリックばかりする自分のあまりの平凡さに押しつぶされそうになります。
でも、そうやって、自分の平凡さに押しつぶされることが、むやみに人を叩いたり、単純で平坦な言葉しかつかえなくなったり、そういうことにつながるんだろうなあとも思うので、何とか、私も、とりあえず、「終わり」を告げることができるくらいの何かを初めて、続けることから始めないとなあと思います。

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# by n1watooooor1 | 2015-02-08 01:56 | 他に言う場所がなかった
ハロプロ、宇多田さん、大森靖子さんなど、楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いています。→http://niwanotori.hatenablog.com/へ記事を移行し、このブログは愚痴や日記用に。ご連絡はこちら→ 管理人:にわの、Twitter:ok_take5、tori.niwa.noあっとgmail.com